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『大河ドラマ 平清盛 その3』
こんにちは。
なびピンクです
先週は、現在、大河ドラマで話題の平清盛があつく信仰した厳島神社のことを簡単に紹介しました。
今日は、もっと厳島神社について詳しくご紹介したいと思います

先週もお話したとおり、平清盛があつく信仰し、崇拝してやまなかった広島県宮島にある「厳島神社」。
「安芸の宮島」と呼ばれ、「日本三景」の一つとなっています
その厳島神社は、推古天皇元年(593年)、土地の有力豪族であった「佐伯鞍職」が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に社殿を創建したのに始まると伝えられています。
そして、仁安3年(1168年)ごろ、
夢の中に現れた不思議な老僧から「厳島の宮を造営すれば、位階を極める」と告げられた大の厳島びいきの清盛は、神社の改修工事を行ったそうです。
その改修工事は、殿以外は板葺きだった屋根をひわだ葺きに、舎殿の数を増やし規模を拡大。
そして現在のような豪奢な神殿へ姿を変えさせたのです。
厳島神社は平家一門の隆盛とともに盛え、家の守り神でした

ですが、建永2年(1207年)と貞応2年(1223年)の2度の火災で全てを焼失してしまいます

時は流れて戦国時代、毛利元就が弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収め、厳島を含む一帯を支配下に置き、元就が当社を崇敬するようになってから再び隆盛したそうです
あの豊臣秀吉も九州遠征の途中で参拝し、大経堂を建立しています。
江戸時代に入ると、厳島詣が民衆に広まり、門前町や周囲は多くの参拝者で賑わいました

そして現在、厳島神社はユネスコの世界文化遺産に登録され、日本の有名な観光地として、多くの人が訪れています
平清盛があつく信仰した「厳島神社」に更に興味が沸いた方はこちらをチェックして下さい。→
http://www.nenkin-navi.jp/fukuri/travel/index.html#sekai_bunka
今週も平清盛と厳島神社についてお届けし、またひとつ賢くなって嬉しい
なびピンクでした
来週も是非♪ご覧になって下さいね

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